老年的超越

老年的超越

 今までも書いたが、私は両親を早く亡くしている。親戚も皆早死になので、遺伝的に自分は長生きできない、50歳までに死ぬものと決め込んで生きてきた。だから、マイホームも持たないし、貯金もしない。ただ、生命保険だけはたっぷり入ってカミさんを安心させなければとの思いだけはあった。ところが私はまだ生きている。生命保険はすべて保証期間が切れてしまい、私が死んでも葬式代も出てこない(とほほほ)。あと2、3年もすれば古希を迎えるというのに、いっこうに死なない。それどころか体調はすこぶる良好だ。私は一体いつまで生きるのだろう、老後の蓄えなど何もないというのに。 

 そう思っていた矢先、「老年的超越」という言葉を聞いた。

 「老年的超越」というのは、年をとってくると、それも90歳以上の超高齢者になると、周りから見れば、どんな悲惨な状況にあっても、当の本人は「今がいちばん幸せ」という心境になるらしい。

 家族や友だちも亡くなり、寝たきりで独り暮らし、他人から見ると、何が楽しみで生きているのだろう、と思ってしまうが、当の本人は「今がいちばん幸せ」と思って生きているらしいのだ。

 過去の悪い思い出は忘れてしまい、将来のことを考えることもなければ、「今」しかない。過去も未来も消え去り、時間が消滅すれば不安も不満も消滅する。だから「今がいちばん幸せ」というのかも。それが「老年的超越」と言うことか。過去も未来も消滅したところ、そこが天国……。う~む。それが仙人の境地か。 

 若死にするはずだった私がまだ死なない。こうなったら、いっそのこと、老年的超越を感じるまで生きてみたいものだ。私の目指したのは仙人になることだったのだから。

 老後の備えなど考えたこともないし、事実、何も備えはない私だが、それでもまったく不安を感じないのは、ひょっとすると、すでに私は「老年的超越」の域に達しているのだろうか。

投稿者: ihanamura

花村一生:昭和23年生、福岡県出身 さまざまな職業を遍歴後、昭和58年税理士として開業 花村会計事務所所長 法人の顧問を中心に開業したが、会計業務が性分に合わず、数年で 手を引く(生来のずぼらから会計業務は行わないにもかかわらず、 会計事務所の看板はそのままになっている) その後、相続税申告と不動産税務に専門特化して今日にいたる。 特に不動産の時価と評価額の矛盾に憤りを持っており、相続税の物納について 異常ともいえる情熱を燃やしている。一時は物納申請件数は日本トップクラス。 主に土地持ち資産家の相続案件を得意とする。 国土交通省外部団体の「都市農地活用支援センター」のアドバイザーとなっている。 納税者のために考え行動することがモットー。税務署と闘うことも辞さない。 著書:新日本法規出版「社会生活六法」税金分野担当

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