うちの事務所では遺言書の作成の手伝いはやりません
私は開業当初、相続税を専業として生きていくためには節税対策と一体で遺言書の作成のお手伝いは必至と思い。積極的に遺言書の作成をアピールしていた。それに遺言執行者としても引き受けていた。
が、しかし、あれから30年、その当時お手伝いした人はまだ誰も死んでいない。
「お手伝いしていただいた料金を請求してください」と言われても、料金を請求するのが苦手な私は「遺言執行者として仕事をしたときにいただきますから、今はいいです」などと言ってしまい、今まで一度も遺言書作成のお手伝いをして、お金をもらったことがない(あははは)
人生100年時代。皆、なかなか死なない。いつの間にか30年が経ってしまい、時代状況は激変した。時代も変われば人のこころも変わる。
将来のこと思い患い、先手を打っておくことが、いかに虚しいことかと思う今日この頃。
恐怖からとった行動はうまくいかない。
何も考えず、ボォ~っと生きているのがいちばん。それでなにも不都合はない。
私が開業したのがバブル時代後期、土地が何より大事な財産と言われていた。「相続税の支払いは土地を売却して払えばよい」と言おうものなら「土地を手放さなくてもよいように税理士さんに相談しているのではないか!」と怒られた時代だ。
それがすっかり変わった。土地の化けの皮が剥がれたのだ。
今では不要の土地を相続人間で押し付けあう時代だ。
今の時代は土地より何より「現金」、とにかく現金預金を準備しておきなさい、ということになる。
これから、ますます時代の変化は早くなり、数年先のことさえ想像できない。こんな時代にいつ死ぬかわからない先のことを考えて手を打っておくこと自体がナンセンスだ。なるようになると開き直るしかないではないか。
たしかに遺言書が必要なケースもあるにはある。子供のいない夫婦、後妻と先妻の子のことが気になる場合、相続人間が不仲な場合など例外的なケースを除き、わたしは、一般的な家庭では遺言書は不要と思っている。
うちの息子たちが生まれてすぐに教えた四文字熟語が「相続放棄」だった。
つい最近「おまえたち、お父さんが死んだらどうするか分かっておるな」「相続放棄だろ、耳にタコだよ」と即答だ。完全に浸透している。
私の思いはカミさんのために借金を返し終わって死ぬこと。ただ、それだけ。
財産がないと本当にシンプルだ。余計なことを考えなくてよい。
財産がないということが最大の財産。
この歳になるとつくづくそう思う。