遺産分けの基準
遺産を分ける基準は「法定相続分」とかたくなに信じている人がいる。子がいる場合は、配偶者の法定相続分は1/2。残りの1/2を子供たちが均等になるよう相続する、というように。
しかし、民法では遺産分けの基準を次のように定めている。「遺産の分割は、遺産に属する物または権利の種類及び性質、各相続人の年齢、職業、心身の状態及び生活の状況その他一切の事情を考慮してこれをする」(民法906条)。とても常識的な内容だ。
つまり、相続人たちが納得さえすれば、法定相続分にとらわれずにどのように分けてもよいわけだ。法定相続分は相続人が決めることができない場合の最後の拠り所だ。
遺産分けで揉める場合の多くが、最初から法定相続分を持ち出して紛糾している。こういう人のことを融通が効かない「デジタル頭」というのだ。
そもそも相続人にはそれぞれの事情があり、財産の評価もフィクションだ。たとえば調整区域内の農地など家も建てることはできないし、農地としてしか利用できない。評価額は、いっちょまえでも相続する当人にとっては「負の財産」だ。こういう土地を農業をしない子が相続してもお荷物になるだけだ。そのへんの事情を考えながら遺産分けをしなさいね、というのが民法906条の趣旨である。
そもそも、すべての財産を金額に換算して評価すること自体に無理がある。虚構の上に虚構を積み重ねた評価をもとにして、法定相続分が決まるのだから、法定相続分に縛られて遺産分けすること自体がナンセンスだ。ところが遺産分けで揉めてしまうと弁護士や裁判官が登場する。そうなると最後の拠り所となる「法定相続分で分けなさい」という結論に行き着くのだ。誰も満足しない結果となるのがオチである。財産の大半を占める土地の評価そのものが空想の世界の話だ。仮にその農地の評価は1,000万円と聞いてどう思いますか。その評価がフィクション(虚構)なのだ。法定相続分の1/2とか1/4というのもフィクションだ。その法定相続分にどういう理屈が存在するのだろう?
どうして配偶者の相続分は1/2で子供は均等なのか、誰も説明できないのだ。評価額も法定相続分も空虚だ。それをもとに弁護士さんを雇って裁判で争うことは本当にバカバカしい。私は今まで裁判で決着してよかったと満足した人の話を聞いたことがない。
遺産分けのトラブルを解決してもらうのに裁判を利用するのは暴力団に頼むよりマシという程度でしかない。相続人間で「気遣い」「感謝」「信頼」があれば、遺産分けはスイスイ進んでいく。何も難しいことはないのだ。そしてほとんどの遺産分けがそのように決まっていく。