遺言書の付言事項
「妻、◯◯よ、最後まで本当に苦労をかけました。長年にわたり連れ添ってくれてありがとう。長男◯◯、次男◯◯、長女◯◯は協力して、お母さんの面倒をよろしく頼みます。次男◯◯の相続分が少ないのは、お前の放蕩にはさんざん苦労をさせられたからだ。それでも文句を言わずに我慢しておくれ。お父さん亡き後も兄弟仲良く暮らしてください。お父さんは天国からお前たちのことを見守っているよ」
こういうのを遺言書に書くのを付言事項と言う。法的には意味がない。最近はこういう付言事項を遺言書に書くことが流行っている。
付言事項の文例集もネットで検索すれば、出るわ、出るわ、よりどりみどりだ。そこからテキトーにみつくろって書いたところで相続人の心に響かない。どうせ書くなら文例集からパクるのではなく。遺言書とは別に、自分の思いの丈を書くことだ(それなら遺言書ではなく遺書だね。)書きたきゃ書いてもよいが、以前は「よけいなことは書くな」ということで付言事項が書いてある遺言書をみることは少なかった。
上記の例のように次男に兄弟仲良くしろと言っても「そりゃ、無理だろ」と言いたくなる。「なにが天国から見守ってやるだ!おやじなんか地獄に落ちてしまえ!」となりかねない。付言事項があることによって争いに発展していくこともある。本当に「余計なことは書くな」だ。
遺言書はシンプルであるべきだ。遺言書の中に法的に意味のない付言事項を書き込むからややこしくなる。
遺言書の理想型は「私の財産はすべて妻◯◯に相続させる」の一文で終わり。余計なことは考えない。付言事項もなし。「二次相続のことまで考えて遺言書をどう書けばいいですか?」などと考える人がいる。
先のことは誰にもわからない。人の心も変わるし時代も変化する。それなのに「遺言書を書かなければ」などと強迫観念に囚われる必要はない。遺言書があると助かるのは子供のない夫婦など特殊な事例だけだ。
私は、自分が死んだ後まで財産をコントロールしようとする人の気が知れない。