オンラインセミナー
先月、オンラインセミナーの講師を務めた。初めての経験だった。
今のご時世、オンラインセミナーが大流行。アプリは「Zoom」。パソコン操作はすべて主催者の担当の方がやってくれたので助かった。私はノートパソコンの前で話すだけだったが、はっきり言ってやりにくい。
1回目は「こんなものか、慣れるしかないな」と思ったが、2回目には、もうイヤになった。「やっとれんなぁ」という気分だ。全然ワクワクしないのだ。
オンライン会議なら双方向でやりとりして違和感はないのかもしれないが、セミナーでは、そうはいかない。聴講者の顔が映ってはいるが、退屈しているのか、熱心に聞いてくれているのか、いまひとつ様子が掴めない。「隔靴掻痒」とはこのことかと思ったよ。舞台役者が映画俳優やテレビ俳優になったような気分に似ているのかもしれない。
有名な映画俳優やテレビ俳優が「いずれは舞台に立ちたい」とインタビューに答えていたことを思い出した。
映画やテレビに出ていた方が、たくさんの人たちに観られて儲かるだろうに。どうして舞台に出たいのだろうと疑問に思っていたが、カメラの前で話をしていると、その気持ちがよく分かった。やはり参加者の前で直接に話す醍醐味は格別だ。
私はひと月ほど前にオンラインセミナーに聴講者の一人として参加したことがある。そのときは自宅で受講した。自宅では電話がかかってきたり、宅配便の受け取りの対応などで何度も中座することになった。その様子も画面を通して講師に見られているので「講師に対して申し訳ない」と思いながら「やっぱり、セミナー会場で聴くべきであるなぁ」と思ったよ。
それにオンラインで聴講していると時間が長く感じる。ときには「早く終わってくれないかなぁ~」などと感じているときもあるのだから、講師としてもやりづらいと思う。
やはりセミナーは直接、講師の顔や声を聞いて身に付けていく方がよい。
禅語に「薫習(くんじゅう)」という言葉がある。
薫習とは師家(しけ)、(雲水の修行を指導する人)の香りを衣服や自分の毛穴にも留めて人間の心の最深部にまで影響を受けること。
セミナーも直接、講師の話を聞き、影響を受けることは、話の中身を覚えていることより大事なことだ。
が、しかし、いまどき「薫習」などと言っていることがズレているのかもしれない。メールでやりましょ、オンラインで繋ごうぜ、がフツーだから。
ソーシャル・ディスタンスなどと言っていると、人間として大事なものを忘れてしまいそうだ。デジタルの世界でいちばん欠落しているのが「匂い」だ。昔はみんな臭かった。匂いを嗅ぐのだよ、匂いを!。クン、クン。薫習