2、3年前、Aさんの父親が亡くなった。父親は農業経営のかたわらアパートの賃貸事業をやっていた。
農地はほとんどが市街化調整区域内にあった。市街化調整区域内の農地は固定資産税が安いので、Aさんは相続税がかかるとは思っていなかった。しかし耕作面積が広く、意外に評価が高くなり、相続税を5百万円ほど払わなければならないことが分かった。延納(分割払い)も考えたがアパートは空室だらけで賃料収入からでは払い切れない、と諦めた。
資産家からすれば、5百万円の相続税額など端金(はした金)かもしれないが、サラリーマンのAさんにとっては大金である。父親の残した預貯金はほとんどゼロ。
相続の手続きについてはAさんの母親が熱心に動いてくれた。Aさんはすべて母親まかせで、ぼぉ~としているだけであった。結局、母親の一存でAさんは父親の跡を継いで農業を引き継ぐことにさせられてしまった。なぜならAさんが農業を引き継ぐと相続税が安くなるからだ。
そうしてAさんは相続税法上は、れっきとした「農業相続人」となった。そして死ぬまで農業をやり続けるという約束と引き換えに相続税の納税猶予の特例を受けさせられた。
この特例により、Aさんは500万円の相続税を当面、納める必要はなくなった。しかし、農業相続人とはいってもAさんは農業の手伝いをしたこともないし、畑がどこにあるのかも知らない。
こうしてAさんは仕方なく畑で耕作することになった。が、案の定、畑で耕作していると「あんた、誰の畑を耕しとんの?」と近所の人に注意された。
Aさんは他人の畑を耕していたのだ。「うう~っ、この畑は俺の畑じゃないのか!知らなかったぁ~!」
インターネットのユーチューブで「新規就農者」向けの動画を検索して勉強したが、どこに自分の畑があるのかという肝心のことを確認することを忘れていた。迂闊であった。
そんなこんなでAさんは「これで死ぬまで農業をやり続けることができるのだろうか」と不安になってきた。
母親が勝手に相続税の節税ために「農業相続人になれ」と決めてしまったが、「これでは、まるで終身刑の囚人と同じじゃないか」という想いが沸沸と心に湧き上がってきたAさんであった。
最近では「草むしり」の夢にうなされる毎日である。
(追記)
農地を相続した場合、その相続人が後を継いで死ぬまでやる[終生営農]と約束すると相続税の納税が猶予される。約束を守ることができなければ猶予税額と利子税を2ヶ月以内に現金で納めなければならない過酷な制度である。昔は[20年営農 (懲役 20年)]で期限があったが、調整区域内農地と生産緑地については[終生営農(終身刑)]となった。この特例の適用を受けようとするにはよほどの覚悟が必要だ。税金のために魂を売り渡すようなことをしてはならない。農業が好き、という人だけが使うに値する特例である。